塩谷司(広島)大学時代に柱谷が認めた能力!経歴やエピソードは?

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こんにちは!
イチロー選手の安打記録更新会見を見て思わず涙してしまった Jakewonder です!
 
リオオリンピックサッカー日本代表に オーバーエージ枠 として参加が決定した、
サンフレッチェ広島塩谷司(しおたに・つかさ) 選手。
 
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学生時代からのスター選手が居並ぶJリーガーの中で、
高校・大学時代はほぼ無名
大学の頃はレギュラー獲得さえままならなかったところから、
いろんな人に支えられて能力を開花させ、
日本代表・オリンピック出場という サッカー界のトップまで駆け上った 選手です。
 
今回は塩谷選手に関して、
色々と書いてみたいと思います!
 

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塩谷司のプロフィール!

 

 
1988年12月5日 徳島県小松島市生まれ
 
身長 182cm
 
体重 80kg
 
血液型 O
 
ポジション DF
 
利き足 右足
 
南小松島FC→大松SC→大塚FCジュニアユース→徳島商業高→国士舘大学
→水戸ホーリーホック→サンフレッチェ広島
 

 
2014年・2015年 2年連続で Jリーグベストイレブン を獲得。
日本代表には2014年に初選出 されています。
 
がっしりとした体格、
強いフィジカルから繰り出される 強烈なFK
ディフェンダーながら 得点力が高い ことも魅力の選手です。
 

塩谷司の経歴!運命を導いたエピソードの数々!

 
塩谷選手の経歴は、
ターニングポイントでの 重要な人物との出会いエピソード に彩られています。
 
大塚FCジュニアユース (現徳島ヴォルティスジュニアユース)から 徳島商業高 に進学した塩谷選手。
一年生・二年生の時にMFとして 全国選手権大会に出場 しているものの、
全国的に名の知れた選手ではありませんでした。
卒業後は地元で就職しようと思っていた そうです。
 
そんな折、
選手権での活躍に目を留めた 国士舘大学 から特待生の誘いが。
他のどこでもなく、
国士舘大学に進学したことが後々塩谷選手の人生に大きく影響します。
 
大学に進学しサッカーを続けたものの、
レギュラー獲得には至らず、
次第にサッカーへの情熱も失いかけていた 塩谷選手。
 
そんな塩谷選手に転機が訪れたのは大学三年生の時。
お父さんがくも膜下出血で倒れ、
そのまま亡くなってしまった
のです。
 
サッカーへの情熱も薄れ、
実家の家族を養う必要性もあり、
塩谷選手は 大学を中退し地元で就職することを決意
 
そんな塩谷選手に救いの手を差し伸べたのが、
国士舘大学サッカー部監督細田三二 さん。
 
「授業料も寮費のことも、大学として相談に乗ってやる。せっかく3年まで頑張ったんだ。卒業はしておきなさい」
 
というあたたかい言葉をかけられた塩谷選手。
レギュラーでもない選手に対してのこの手厚いサポートに心を動かされ、
大学に残りサッカーを続けます。
 
今度はただ漫然とサッカーをやるのではなく、
プロになって、
稼いで、
家族を養うために、
再び必死にサッカーに取り組んだ
そうです。
 
そんな塩谷選手に、
人生を決定づける転機が。
 
4年生の夏、
国士舘大学のコーチに正式に就任した元日本代表DF 柱谷哲二 さんに、
プロになりたい、
そのためにはなんでもする、
と思いのたけをぶつけました。
 
もともと、
まだ開花していないものの 塩谷選手の秘めた能力に注目 していた柱谷さん。
「闘将」 の異名をとる熱血漢・柱谷さんは、
本人のこの言葉を受けて、
フィジカル面でもメンタル面でも、
プロのフィールドで戦える基礎を徹底的に国士舘大学時代に叩き込んだ そうです。
 
さらにその熱意は大学だけにとどまりません。
塩谷選手卒業の年に J2水戸ホーリーホックへの監督就任が決定 した柱谷さんは、
進路が決まっていなかった 塩谷選手を水戸へ 連れて行きます。
 
まだまだ物語は続きます。
水戸ホーリーホックでは1年目の開幕戦からスタメン出場 。
柱谷監督の 期待通りの活躍 を果たした塩谷選手に2012年、
J1の複数球団から誘いが来ます。
 
その中の一つ、
J1優勝争いを繰り広げていた強豪・ サンフレッチェ広島 の監督は柱谷監督と「ドーハの悲劇」を経験した同志、
森保ー さん。
柱谷監督はサンフレッチェ広島を塩谷選手に推薦し、
8月に移籍が実現しました。
 
移籍後2年目となる2013年には、
移籍退団した 森脇良太 選手の穴を埋める以上の活躍を見せ チームの連覇に大貢献
サンフレッチェ広島での活躍が アルベルト・ザッケローニ日本代表監督 の目に留まり、
2014年A代表に初選出 されました。
 
無名の時代にも、
その潜在能力に注目した様々な人の支援でサッカーを続け、
その先で確実にチャンスをものにしてステップアップし、
ついには日本を代表するDFになった塩谷選手。
 
ひとつ歯車が狂えば、
今頃は地元徳島でサッカーとは無縁の生活を送っていたかも しれないと思うと、
「運命」 という言葉を感じずにはいられない波乱万丈の経歴ですね!
 

塩谷司のリオオリンピックでの活躍に期待!

 
オーバーエイジ枠の一人としてリオオリンピックに出場する塩谷選手。
 
人生の恩師である柱谷監督から伝授されたという、
『頭はクールに、心は熱く』
を実践して、
リオオリンピックでは若い世代の選手を牽引し、
厳しい戦いを勝ち抜いてほしいですね!
 
そして、
その先には ロシアW杯
 
塩谷選手の今後の活躍から目が離せません!
 
最後までお読みいただき、
ありがとうございましたm(_ _)m
 

 
 

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